- 2025-07-03

※この記事は【私の切迫早産日記】シリーズの第一回です。
この記事では私が経験した『切迫早産』についてお話しします。
周りの友達やSNSなどで妊婦さんを見ると、神秘的で、可愛くて、幸せそうで、、、妊娠している人はみんな、キラキラしたマタニティーライフを過ごしているものだと思っていました。もちろん、私も妊娠したらみんなと同じように充実したマタニティーライフを過ごせると思っていました。
でも私は、2回の妊娠どちらでも切迫早産と診断され、不安な気持ちで妊婦生活を過ごしました。この記事を読んで、同じように悩んでいる方が少しでも気持ちを軽くできるように、そして切迫早産って何?と不安になっている妊婦さんに向けて、私の体験を綴っていこうと思います。
▶︎前回:【私の切迫早産レポ #03】2回目の妊娠も切迫早産に…上の子たちがいる中での安静生活

切迫早産とは、早産の一歩手前の状態のこと。妊娠22週以降37週未満での赤ちゃんがまだお腹の中にいてほしい時期に、子宮頸管(しきゅうけいかん)が短くなったり、張りが頻繁になったりして、早産になる可能性が高いと診断された状態を指します。
2回の切迫早産を経て、今だから言えること
「まさか自分が2回も切迫早産になるなんて思わなかった」
妊娠する前は、私も周りのみんなみたいに当たり前にアクティブで充実しているマタニティーライフを過ごせるものだと思っていました。まさか自分が2回も切迫早産になるなんて想像もしていませんでしたし、その危機感もゼロでした。初めて診断を受けた時も、2回目の時も、絶望感でいっぱいだったのを今でも覚えています。
妊娠・出産は「当たり前」じゃなかった
妊娠・出産は「当たり前」ではなく、奇跡の連続だということを身を、もって実感したマタニティーライフでした。
妊娠=幸せな時間だけではなく、不安や心配もついてくる時間でした。もちろん、お腹に宿っている新しい命のことを考えると愛おしくて幸せな気持ちになりましたが、正直、な不安な気持ちの方が大きかったこともあります。
妊娠期は、食事や行動範囲に制限があることも多く、改めて赤ちゃんをお腹の中で育てることの重みを実感する時間でした。
自分の心と体を大切にするようになった
これまで大きな病気にかかったことがなかった私にとって、切迫早産は貴重な体験となりました。
我慢や根性ではどうにもならない経験で、妊娠は私ひとりの体だけではないことを痛感しました。体に気をつけることが赤ちゃんのためであることを考えると、「完璧を求めすぎない」「無理をしない」と心がけるようになりました。
そして、「助けを求めること=弱さではない」と気づけたことも、大きな学びでした。
家族・医療・周囲の人への感謝
夫は、私が切迫早産と診断されてからは「ママは休んでて」とほとんどの家事育児を率先してやってくれました。本当に感謝でいっぱいです。夫の気遣いがなければ、元気な赤ちゃんを産むことはできなかったと、心から感じています。そして、子どもたちも、私の状況を察し、それぞれが精一杯頑張ってくれ、何度も涙が出そうになりました。
また、私が通っていた病院では、切迫早産を未然に防ぐために、毎回の妊婦健診で内診を行い、症状を早期に発見してくれました。入院中、看護師やお医者さんをはじめとする病院関係者の優しさにも胸がいっぱいになりました。両親も、私や家族のことを気にかけ、心配して支えてくれました。いくつになっても、親の偉大さには尊敬の気持ちでいっぱいです。

この経験が「今の私」にくれた力
このご時世、4人の育児をしている中で辛いこともたくさんありますが、常に元気に健康に産まれてきてくれたことに感謝の気持ちが溢れています。辛い妊娠期を経て、大事に育てた我が子は愛おしく、尊い存在です。育児で疲れても、嫌なことがあっても、頑張れる力をもらいました。また、ステップキッズの実母にも、健康で元気な赤ちゃんを産んでくれたことに感謝しています。
切迫早産という言葉は多くの人に認知されていますが、実際にどんなものかは経験しないとわからないこともあります。妊娠したことがあっても、健康なマタニティーライフを過ごした方には理解が難しいこともあります。私も、心無い言葉を受けたこともありました。
私は、切迫早産を経験した身として、これから職場で下の世代が妊娠した時には一人の理解者でありたいと思いますし、娘や息子のお嫁さんがもし切迫早産を経験してしまったら、必ず寄り添ってあげたいと思いました。そして、このブログを通して、今辛い経験をしている方々に少しでも勇気を届けられたらいいなと思っています。
2回の切迫早産を経験して切迫早産ママたちに伝えたいこと
「切迫早産」と診断され、安静を強いられる日々。
子どもたちと遊んであげられず、入院中は会うことすらできなくて、「寂しい思いをさせてしまったかな」と落ち込んだこともありました。でも今振り返ると、子どもたちはその時間の中でたくましくなり、私の知らない間にできることも増えて、たくさん成長してくれました。あの時間は、子どもたちにとってもきっと意味のあるものだったのだと思います。
妊娠中は、SNSでアクティブに過ごす妊婦さんに憧れて、私も体を動かしたかったし、お出かけもしたかった。スタジオで予約していたマタニティフォトも、2回ともキャンセルして自撮りに…。正直、悔しい気持ちもありました。でも今はこう思えます。
「安静期間には、ちゃんと終わりが来る。」
そして、「人は人、自分は自分。」
赤ちゃんが小さく産まれてしまうよりも、お腹の中で育ててあげられる方が、絶対にいい。だからこそ、今はつらくても、“今しかできない頑張り”を、どうか諦めないでほしいです。
1回目の妊娠では、切迫早産と診断されて入院したのに、結局40週1日での出産となりました。その経験から、「切迫って言っても、案外大丈夫なのかも…?」と思っていたのですが…2回目は全く違いました。
手術当日、張り止め(リトドリン)の点滴を外してから、たった4時間で破水。今思えば、本当に首の皮一枚でつながっていたような状態でした。病院で安静にしていなければ、逆子だったこともあり、外出先などで破水していたら…と考えると、ゾッとします。
あんなに入院生活が辛かった私ですが、あのとき病院にいて、本当によかったと心から思います。
切迫早産と診断されて、不安でいっぱいの中で頑張っているあなたへ。
「安静にすること」こそが、今あなたにしかできない大切な役割です。それは、“頑張っていない”のではなく、“命を守るための最も大きな頑張り”です。切迫早産についての知識がなければ、周りの理解を得るのは難しいかもしれません。でも、夫やパートナー、ご家族には、あなたの状態や気持ちをしっかり伝えて、理解してもらってください。無理をせず、遠慮せずに甘えて、支えてもらいながら、少しでも安心できる時間を持ってくださいね。: )
母子共に、健康で出産に臨めることを心から応援しています!
まとめ
あのときの不安や涙、長く感じた入院や安静生活も、今では大切な思い出です。命を守った日々は、確実に私を強く、やさしくしてくれました。次回は、最終章。切迫早産の入院や安静生活で役立ったグッツや工夫をご紹介します!
▶︎次回:【私の切迫早産レポ #番外編】切迫早産の入院・安静生活で役立ったグッズ&工夫
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【私の切迫早産レポ #03】2回目の妊娠も切迫早産に…上の子がいる中での安静生活
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c h u r a フリーランスライター
沖縄生まれ・沖縄中部育ち、ちょっぴりアメリカナイズされた沖縄在住の4児ママです!沖縄ならではの”ちゃんぷる〜文化”と私自身のリアルな経験を交えながら、暮らしをよりbetterにする情報やライフハックを沖縄からゆる〜くお届けします!