- 2025-06-27

※この記事は【私の切迫早産日記】シリーズの第二回です。
この記事では私が経験した『切迫早産』についてお話しします。
周りの友達やSNSなどで妊婦さんを見ると、神秘的で、可愛くて、幸せそうで、、、妊娠している人はみんな、キラキラしたマタニティーライフを過ごしているものだと思っていました。もちろん、私も妊娠したらみんなと同じように充実したマタニティーライフを過ごせると思っていました。
でも私は、2回の妊娠どちらでも切迫早産と診断され、不安な気持ちで妊婦生活を過ごしました。この記事を読んで、同じように悩んでいる方が少しでも気持ちを軽くできるように、そして切迫早産って何?と不安になっている妊婦さんに向けて、私の体験を綴っていこうと思います。
▶︎前回の記事:【私の切迫早産レポ #02】入院生活スタート!切迫早産で突然の入院、どう乗り越えた?

切迫早産とは、早産の一歩手前の状態のこと。妊娠22週以降37週未満での赤ちゃんがまだお腹の中にいてほしい時期に、子宮頸管(しきゅうけいかん)が短くなったり、張りが頻繁になったりして、早産になる可能性が高いと診断された状態を指します。
2回目もやっぱり…再び「切迫早産」
1回目の妊娠で切迫早産を経験していたので、2回目もあるかもしれないという覚悟はしていました。けれど、まさか19週という早い段階で「切迫早産」と診断されるとは思いませんでした。このとき、子宮頸管長は18mm。1人目のときは31週で19mmと言われて「危険」と判断されたので、今回はより深刻だとすぐに危機感を持ちました。
そして、診断名には「子宮頸管無力症*」という言葉も加わっていました。
妊娠中に子宮の出口である子宮頸管が、痛みや陣痛を伴わずに開いてしまう状態のことです。通常、子宮頸管は妊娠を維持するために固く閉じている必要がありますが、子宮頸管無力症では、子宮の圧力に耐えられなくなり、流産や早産の原因となることがあります。
気づいていた身体のサイン
当時、末っ子はまだ2歳で目が離せず、自分でも「無理してるな」という感覚がありました。お腹の張りも感じていて、疲れたときにはソファーで横になるようにしていたけれど…まさかここまで早く診断されるとは。
緊急入院&緊急手術
このままだと危険です。すぐに手術が必要です。
診察後、お医者さんからそう言われました。手術をすれば、うまくいけば長期入院を避けられるかもしれないとのこと。すぐに決断し、緊急入院が決まりました。
危機感が足りなかった私は、自分で車を運転して病院へ行っていたため、一度自宅に戻り、16時に再度病院へ入院しました。
妊娠中に子宮の入り口である子宮頸管を糸で縫い縮める手術のことです。この手術は、子宮頸管が弱く、早産や流産の危険性が高い場合に、子宮頸管を閉じた状態に保ち、妊娠を継続させることを目的として行われます。

手術前、手術後の様子
入院後、まずはリトドリン(張り止め)の点滴をしながら体調を見ながら安静入院が始まりました。3日目に手術を受け、その後は7日間の経過観察となりました。
手術は下半身麻酔で行われました。麻酔の注射が痛かったけれど、手術中の痛みはなし。術後は麻酔の影響でしばらく寝たきりで腰が痛くてつらかったですが、翌日には歩く練習を始め、順調に回復しました。
ただ、縫った糸が異物と判断されて体が拒絶反応を起こすこともあるため、経過観察は慎重に行われました。結果的には順調で、合計10日で退院できました。
上の子がいる中での安静生活の現実
退院後も、頸管長が18mmと短いため、自宅安静は絶対条件。診断書を出してもらい、仕事も傷病休暇を取得しました。
でも、子どもが3人もいると、安静といってもなかなか難しいのが現実。家事も育児も「なるべく控えて」と言われましたが、完全にやめることはできません。
私が決めたルールは、「最低限だけやる」。朝食を作り、保育園の送りと洗濯だけ。掃除はしない!と割り切りました。
夫のサポートに救われた
夫は本当に頑張ってくれました。仕事をしながら、帰宅後には夕飯を作り、子どもたちの相手もしてくれました。
週末には、私が連れて行けない子どもたちをお出かけに連れて行ってくれたりと、本当に助かりました。
安静生活中の気持ちのアップダウン
お腹の張りがあったため、仕事を休めたことには正直安心しました。でも、保育園の送迎など最低限の外出は必要で、いつ入院になるか、いつ破水するかという不安が常にありました。
安静生活をしていると「ランチ行こうよ!」と誘われることも多く、本当は行きたいけど断らなきゃいけない。妊娠中ということもありホルモンバランスも崩れていてメンタルボロボロ。そんな些細なことでも、気持ちが落ちることも多かったです。
逆子で35週から再入院へ
自宅安静のおかげで20週から35週までは入院せずに過ごせましたが、逆子になってしまい、破水のリスクが高まったため、35週から再び入院となりました。
その後、帝王切開の日程は37週0日に決定。お腹の中で育ってくれていることに感謝しつつ、安静に過ごす毎日でした。
ところが、手術当日の13時頃。尿もれのような感覚があり、トイレへ行くと「ドバドバ…」と破水。まさに手術の1時間前でした。幸い、羊水量に問題はなく、予定通り14時に帝王切開で無事出産。首の皮一枚で繋がっていたんだなと実感しました。
まとめ
2回の安静生活は、想像以上に大変で、つらくて、不安な毎日でした。でも、夫も子どもたちも、みんなそれぞれ頑張っていると思うと、私も頑張ろうと思えました。
上の子たちの世話や家のことは、夫や家族にもできます。でも、お腹の中の赤ちゃんを守れるのは、ママしかいません。だからこそ、休むことこそが、今のあなたの一番の頑張りなんです。2回の妊娠を通して、私はそれを身をもって実感しました。
どうかあなたも、自分を責めず、ゆっくり休みながらこの時間を乗り越えてほしいと心から願っています。
次回は2回の切迫早産を経て私が学んだこと・感じたことをお話ししたいと思います。
▶︎次回:【私の切迫早産レポ #04】2回の切迫早産を経験して学んだこと・変わった価値観
参考
『子宮頸管無力症』- MSDマニュアル
Who wrote this article

c h u r a フリーランスライター
沖縄生まれ・沖縄中部育ち、ちょっぴりアメリカナイズされた沖縄在住の4児ママです!沖縄ならではの”ちゃんぷる〜文化”と私自身のリアルな経験を交えながら、暮らしをよりbetterにする情報やライフハックを沖縄からゆる〜くお届けします!