- 2025-06-27

※この記事は【私の切迫早産日記】シリーズの第二回です。
この記事では私が経験した『切迫早産』についてお話しします。
周りの友達やSNSなどで妊婦さんを見ると、神秘的で、可愛くて、幸せそうで、、、妊娠している人はみんな、キラキラしたマタニティーライフを過ごしているものだと思っていました。もちろん、私も妊娠したらみんなと同じように充実したマタニティーライフを過ごせると思っていました。
でも私は、2回の妊娠どちらでも切迫早産と診断され、不安な気持ちで妊婦生活を過ごしました。この記事を読んで、同じように悩んでいる方が少しでも気持ちを軽くできるように、そして切迫早産って何?と不安になっている妊婦さんに向けて、私の体験を綴っていこうと思います。
▶︎前回の記事:【私の切迫早産レポ #01】切迫早産ってなに?私が初めて診断された時のこと

切迫早産とは、早産の一歩手前の状態のこと。妊娠22週以降37週未満での赤ちゃんがまだお腹の中にいてほしい時期に、子宮頸管(しきゅうけいかん)が短くなったり、張りが頻繁になったりして、早産になる可能性が高いと診断された状態を指します。
突然の診断と入院|31週で緊急入院
妊娠31週のある日、健診で「子宮頸管長が19mm」と告げられ、まさかの緊急入院が決まりました。
そのときの私はまったく危機感がなく、自分で車を運転して病院に来ていたほど。入院の準備も何ひとつしていなかったため、「一度帰って準備させてほしい」とお願いすると、「本当はダメだけど…」と条件付きで一時帰宅を許可されました。16時までに病院へ戻る約束をして、急いで家に向かいました。
帰宅してまず取りかかったのは、入院の荷造り。
まだ31週だったため、お産用の入院バッグすら準備しておらず、何を持っていけばいいのかわからず慌てました。「切迫早産 入院 準備」と検索しながら、手探りで荷物を詰めていきました。夫にもすぐに連絡し、状況を説明。
「入院」と聞いて、真っ先に頭をよぎったのは上の子どもたちのこと。
夫の仕事は早朝から始まるため、毎朝の支度や送迎は私の役目でした。それが突然できなくなると気づいた瞬間、頭の中がパニックに。
夫と相談し、義母に協力をお願いすることになりましたが、急なお願いで申し訳なさもありつつ、頼らざるを得ない状況に胸が苦しくなりました。
入院生活スタート|ベッドの上の毎日と制限
病院に戻ると、すぐに入院の手続きを行い、張り止めの点滴(リトドリン)が始まりました。
夕食は手術室の前にある簡易ベッドで済ませ、その後、個室の病室へ。私が通っていた病院は産婦人科で、長期入院でも個室を用意してもらえたのは、本当にありがたかったです。
とはいえ、入院生活は想像以上に過酷でした。
- 基本はベッド上で絶対安静
- 起き上がれるのはトイレ・お風呂・健診のときだけ
- 売店に行ったり、1階へ降りるだけでも注意される
- 点滴は24時間、退院までずっと繋がれっぱなし
点滴のパックが空になると、夜中でもアラームが鳴り、ナースコールで看護師さんに伝える必要がありました。寝不足も重なって、心も体も限界を感じる毎日。動かないでいるだけなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう…と思うこともありました。

面会禁止…孤独との闘い
私が入院していたのは2021年。コロナ禍の真っ只中で、面会は完全に禁止。家族にすら一切会えず、孤独と不安が押し寄せてきました。
特に心配だったのは、上の子どもたちのこと。「寂しい思いをしていないかな」「ママが急にいなくなって混乱していないかな」そんなことばかり考えては、ベッドの上で涙を流す日もありました。
支えになったもの|乗り越えられた理由
そんな入院生活を乗り越えることができたのは、周りの支えがあったからです。
- 毎日連絡をくれた夫
- 駐車場まで荷物を届けてくれた家族
- 優しく寄り添ってくれた看護師さんや助産師さん
- SNSで出会った、同じような体験をしたママたちの声
- NetflixやYouTube、本や音楽など
とくに心に残っているのは、病院スタッフの方たちのあたたかさです。コロナ禍で面会できず、孤独な妊婦さんが多いことをわかってくれていると感じるような気遣いや言葉がけに、何度も救われました。その優しさに、思わず涙があふれることもありました。
今だから思うこと|安静入院は無駄じゃなかった
子宮頸管の長さが回復すれば退院も可能と言われていましたが、現実はそう簡単にはいかず…。結局、妊娠31週から入院し、赤ちゃんがいつ生まれてもいいとされる36週まで、約5週間の入院生活を送りました。
退院後は、「もうすぐ産まれるかも」と毎日ドキドキしながら陣痛を待っていましたが、なかなか前兆が来ず…。そしてなんと、予定日ぴったりにおしるしがあり、そのまま破水。翌日、40週1日で出産を迎えました。
あのときは辛くて不安で、「本当にこれで意味があるのかな」と思うこともありました。でも今振り返ると、しっかりと生産期までお腹の中で育ってくれたのは、あの入院生活があったからだと心から感じています。

まとめ
切迫早産と診断されたとき、「どうして私が…」と何度も思いました。入院中は孤独でつらくて、正直、前向きに考える余裕もありませんでした。
でも今振り返ると、早産のリスクがあったにもかかわらず、無事に生産期までお腹の中で育ってくれたのは、安静入院のおかげだったと思います。そして今、元気いっぱいに育っているわが子の姿を見て、「あのとき頑張ってよかった」と心から思えます。この経験が、同じように不安を抱える妊婦さんの励みになれば嬉しいです。
次回は、2回目の妊娠でも切迫早産と診断されたときの体験談をお届けします。
▶︎次回:【私の切迫早産レポ #03】2回目の妊娠も切迫早産に…上の子たちがいる中での安静生活
参考
『早産・切迫早産』- 公益社団法人 日本産科婦人科学会
Who wrote this article

c h u r a フリーランスライター
沖縄生まれ・沖縄中部育ち、ちょっぴりアメリカナイズされた沖縄在住の4児ママです!沖縄ならではの”ちゃんぷる〜文化”と私自身のリアルな経験を交えながら、暮らしをよりbetterにする情報やライフハックを沖縄からゆる〜くお届けします!